仕事終わりのカレー作り

今日は定時で仕事を終えた。
いつもコンビニやスーパーに寄って夕飯を買うが、今日こそはカレーを作ろうと決意したので何も買わずに帰った。
ここ数日ずっとカレーを作ろうと思っていたので材料は家にそろっていた。
昨日までカレーを作らなかったのは、仕事終わりで疲れていることだしカレーを作るのは夕飯を食べてからにしようと思ってカレー作りを後回しにし、夕飯を食べ終わった頃にはもうお腹もいっぱいだしカレーを作るモチベーションがなくなっているからだった。
僕もようやく「家に着いたらすぐカレーを作り始めないと結局作らない」と気づいたので、今日は何も買わずに作ったカレーを夕飯にすることにした。
自分を追い詰める作戦である。

僕のカレー作りでまずしないといけないことは玉ねぎを切ってレンジで7分間チンすることだ。
野菜嫌いなので玉ねぎは正体がなくなるまで柔らかくしたい。
レンジでチンしてから炒めると、そこまで長時間炒めなくてもくたくたに柔らかくなるのだ。
僕はいつも通り玉ねぎ2個を薄切りにして、皿に盛ってラップをかけた。
ここで「そういえば今回のカレールーのレシピ的に、玉ねぎ2個で大丈夫かな?」と不安になったのでカレールーの箱を見ることにした。
カレールーの種類によっては1個だったり1個半だったりすることもある。
玉ねぎを入れすぎたカレーは野菜嫌いが食べれる代物ではないことは、これまでの経験から分かっていた。
冷蔵庫の横にある収納棚の引き出しを開けた時、僕はようやくカレールーを切らしていることに気づいた。
ビーフシチューのルーはなぜか2箱ある・・・。けどカレールーは1箱もなかった。
さすがに鶏肉でビーフシチューを作るのは無理があるし、玉ねぎと鶏肉を使ったスープか何かに変更するか?と少し考えた。
しかしなんか負けた感じがする、やっぱりカレーにしよう、と思い直して、玉ねぎをチンしている間に近くのドラッグストアにカレールーを買いに行くことにした。
ちょうど洗剤と漂白剤も買いたかったところだ。ついでに買ってくることにした。

そして無事、ドラッグストアでカレールー(と洗剤と漂白剤)を調達し、カレー作りを再開した。
鍋を火にかけて、チンした玉ねぎを入れる。
さらにすりおろしたにんじんをくわえて、一緒に10分間炒める。
にんじんをすりおろすのは、もちろんカレーを食べる時にできるだけにんじんを感じないようにするためだ。
玉ねぎがきつね色になるまで炒めたら、鶏肉をくわえて水を800ml入れてひたすら煮る。
カレールーのレシピによると煮る時間は15分らしいが、ここは長めに30分煮る。
この間に包丁やまな板、玉ねぎをチンした皿などを洗うのが効率的である。
皿を洗い終わった頃には鍋が沸騰し始めているので、灰汁をとって、あとはタイマーが鳴るまで煮て、その後カレールーをくわえてさらに10分煮れば完成。

ここのところ自炊をさぼっていたので、自作のカレーを食べるのは久しぶりだったが、おいしく作れていた。

たかがカレーを作っただけだが、僕はとても満足感を味わっていた。
これまでの仕事終わりのルーティンでは、帰ってきたら動画を見ながらコンビニ弁当を食べて、アイスとポテチを食べて、寝るぎりぎりまでゲームをしたりYouTubeを見るだけだった。
でも今日の僕はカレーを作った。しかも一旦帰った後、わざわざドラッグストアに追加の買い出しにまで行った。
ドラッグストアではついでに洗剤と漂白剤も買ったし、明日の昼飯用に半額のパンも買っていた。
残ったカレーは腐らないように鍋ごと冷蔵庫に入れてある。
すごーくしょうもないことだけど、なんだろう、やるべきことをやった満足感のようなものを感じた。
動画を見たり怠惰に過ごすのがルーティンではあったが、それは心底やりたくてやっているわけではなく、ただ怠惰なだけだった。
だからいくら動画を見ても僕を完全にいやしてくれることはなく、むしろ「今日も僕は何もしなかった」という罪悪感にさいなまれながら眠りにつくものだった。
これは場合によるのだろうが、自分を癒すにはただ休息をとればいいというものではない。
ちょっとだけ頑張って、自分の心のしこりを取ることが自分を癒すことになったりする。
ストレスは逃げると追いかけてくる、という書き込みを見たことがあるが、まさにそういうことなのかもしれない。